ファツィオリが身近に響いた。
今日は雨、屋外の行事は雨で不参加となり、妻と一緒に当地区のピアノコンサートに出掛けてきた。子供たちが巣立ってから足を運ぶこともなく、十年近くが経過。幼少時を知る人の出演があった。ピアノはファツィオリ(fazioli)、当地のコンサートで使用されるのピアノはスタインウェイとヤマハが多い。今回のファツィオリは、主管の先生の意向で選ばれた。
カヴァレリア・ルスティカーナのアリアを歌う彼女は、幼少時の顔立ちから脱皮して別人のようであった。ベートーベンの熱情ソナタは、自分の中に響いた。
小さい子の演奏であるが、選曲のミスマッチが多かった。指導者が良くないと考えてしまう。音に表情をつけて演奏する子には心からの拍手を送った。わが子が小さい時に練習・発表していた曲もあり、なつかしさの中に時折、埋没。
メーカーによる違いがわかるほど耳は良くないが、イタリア製らしく明るさ、透明感があるかも。中村八大さんは低音音域の広いベーゼンドルファーを愛用していたときく。生で聴いたことは無い。グールドは自分用にピアノを改造して弾いていた。ミケランジェロのように自分のピアノを持ち歩く事例もある。音が、響きが、タッチが違うことを追求する極端な例かと思うが、そうするとホールの響きまでかかわってくるのかもしれない。が八大さんが刑務所で演奏していた姿勢は、忘れられない。ピアノの音が生活の中に定着する社会は、良いに決まっている。音楽が心にもたらすものは見えないけど、かけがえのないものである。
お天気都合ではあたったのだが、ピアノを聴く時間が持てたことが今日の輝きとなった。月光ソナタもあったのだが、2楽章無しの3楽章では物足りない。
この記事を書いている時間も熱情が鳴っている。が、このピアノ、ベートーベンよりドビュッシーが合っているのかな。今度、先生に聞いてみようかしら。
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