午後の音楽時間に不満あり

午後の音楽時間に不満あり。

毎年、大人が演奏を披露する催しに参加している。

発表内容は、ピアノ、エレクトーンと歌になる。

自分はまずエレクトーンが嫌い。

この催しで聴く度に嫌い度を増している。

演奏者がどこを弾いているのか、よくわからない。

大音響が鳴っているとしか感じられない。

テクニックの上手さもあるのだろうが、音に表情を感じとることができない。

ピアノ曲の選定も自分に合わない。

最後の演奏、リスト”愛の夢”とモーツァルト”トルコ行進曲”で救われた。

ピアノの音が好きではあるが、曲目による。

この催しが始まったころの雰囲気が好きであったが、今は全く様変わりしてしまった。

どうなることやら。

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スカルラッティといえばホロビッツのピアノレコード

スカルラッティといえばホロビッツのピアノレコード

一昨日、チェンバロリサイタルでスカルラッティを聴いたが、自分がレコードで親しんでいた曲は登場しなかった。

自分にとってはスカルラッティとホロビッツが直結している。

随分と昔にレコードを購入した。

レコードを購入するだけの価値観を見出していた。

今はレコードを聴くことができない鬱憤が溜まっている。

音響機器を通して、時間の流れを痛切に感じる。

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チェンバロリサイタルを楽しんできた

チェンバロリサイタルを楽しんできた。

生でチェンバロを聴く機会は少ない。

間近かにみることも少ない。

大石祥之さんの演奏を聴いてきた。

バッハ、クープラン、スカルラッティの曲が並んだ。

久しぶりに味わう曲は、狭い空間ではあるが満たしつくしていた。

チェンバロの制作者・木村雅雄さんが調律を行っていた。

温度変化に敏感なので、休憩時間にも調律を行った。

ピアノ好きの私には音の表現として足りないものを感じるが、楽器の特性なので仕方ない。

昔のモノラルレコードでランドフスカの演奏を楽しんでいたこともあった。

演奏終了後に木村雅雄さんのチェンバロ説明を聞いた。

鍵盤の高音1音タッチは、ピアノと全く違っていた。

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ビートルズの話題で、自分もプレイバック状態に

ビートルズの話題で、自分もプレイバック状態に

ビートルズの音楽もあるが、横尾忠則氏のビートルズ宣言を思い出す。

1972年9月1日発行の非売品「THE BEATLES FOREVER」の巻頭に綴じられていた。

「ぼくはビートルズによって発見されました。」に始まり、「ぼくはビートルズにエーテル体です。ぼくの秘密はビートルズです。だからぼくはビートルズに厳しいです。ビートルズに厳しくすることはぼくにに厳しくすることです。」に終わる。

新たなCDの世界同時発売で話題になっているビートルズであるが、音の質で喜ぶ自分はいない。

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辻井いつ子さん著”今日の風、なに色?”を妻が仲間から借りてきた

辻井いつ子さん著”今日の風、なに色?”を妻が仲間から借りてきた。

先日に引続き、今日も辻井デーの休日である。

妻が昨晩借りてきた本を私が先に読んでいる。

Aさんは2001年に購入したという。

昨晩の合唱練習でも話題になった。

音の出し方が違うのであろう。

小さい時から音の質にこだわったところがあったようである。

異空間の音をいやがり、母親を困らせた。

ご主人の実家でも泣き続けていたらしい。

CDをかけながら、本を読む。

未だ途中であるが、思わず記事にした。

雨もあがり、軽いポタリングに行くことにしよう。

一眼レフが泣いている。

困った、困った‥パンケーキレンズが欲しくなる。

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妻は辻井伸行さんのコンサートチケットをゲットした

妻は辻井伸行さんのコンサートチケットをゲットした。

妻の働く会社は「さくらホール」に買取席を持っている。

申込み・抽選でパート社員にも機会を与えてくれている。

オーケストラコンサートのS席は購入したら1万円にもなる。

ヴァン・クライバーンコンクールで優勝し、帰国間もない演奏会として全国的な話題になっている。

クライバーンコンクールといえば以前ラドゥ・ルプーが優勝したことを思い出す。

全盲のハンディキャップを打ち消す本人の努力はもちろんのこと、両親と周りの支えがしっかりしたものであったのだろう。

とてもうれしいニュースである。

出張から帰ってきて、とても心が明るくなった。

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雨の日曜日、妻のいない居間で一人聴くはバッハ

雨の日曜日、妻のいない居間で一人聴くはバッハ

昨晩は合唱仲間の花見宴があった。

思いを語ることも良いものだ。

今朝は早起きをし、ウォーキングを兼ねて街中に置いてきた車を取ってきた。

部屋掃除終え聴くはバッハ・無伴奏バイオリンのためのパルティータ、弾くはヘンリク・シェリング。

随分と旧い録音であるが、お気に入りである。

この世の混沌を思い知れば知るほど、バッハの音は心に光をもたらしてくれる。

ロマン派とは違う音の構成、うまく表現できないが純な光で心を揺り動かされるようだ。

今日、一日はバッハで行こう。

音楽中心の生活は、次女に受け継がれている。

好みは違うが、そのうちに回帰してくることもあるかな。

日常的に、きばらずにバッハに親しむことができたら!と思う。

インベンションはまだまだ、メヌエットを楽しむ段階から‥

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楽器をやめる理由とは

楽器をやめる理由とは

楽器に親しむことを過去形にしてしまう人が多い。

自分の過去も過去形だらけであった。

日々の暮らしの中に音楽、とりわけ楽器演奏があると潤いがあると思うし、広がりを期待したい。

歌を歌う人もいるが、自分は一人では歌えない。

楽器との出会い、係わりを考えてみると、小学生に戻る。

小学生低学年でリコーダーに出会う。

昔は縦笛と言っていた。

思ったようにメロディーを鳴らすことができた。

ハーモニカも吹けた。

でも続かなかった。

小さい時、それほど音楽に興味が無かった。

高校では隣の**君にドレミを書き込んでもらっていた。

二十歳近くに、友達の影響でギターに興味を持つ。

カルカッシのギター教則本で独習した。

と同時に井内澄子先生のNHK/TV「ピアノのおけいこ」が楽しかった。

ギターも社会人生活とともに練習しなくなった。

子供の習い事とともに始めたピアノは、自分の宝物への巡り合いと言える。

過去形にしてしまっている人が、復活して欲しい。

楽器には力がある。

心に響き、明日への力をくれる。

大げさかな。

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音が音楽が言葉に結びつく

音が音楽が言葉に結びつく

先の日曜日、題名のない音楽会を久しぶりで観た。

谷川俊太郎・賢作さん親子の共演は、言葉の味わいと音楽の語りかけがテーマであった。

詩と音符の結びつきだけでなく、その空間を埋めるものが伝わっていく。

伝わる音は活きている。

無機音という音もある。

好きでは無い。

電子楽器も好みでは無い。

肉声と楽器から発せられる音に表情が付く。

いかに表情をつけるか?

番組を観て言葉と音楽の親しさを感じた。

賢作さん、終盤のピアノ演奏は好みではなかった。

何とか兄弟みたいなテクニックの戯技は別舞台で良い。

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音楽時間の楽しみは保守的傾向大

音楽時間の楽しみは保守的傾向大

2日間で音楽時間を楽しんだ。

昨日は出勤であったが、夜は10月合唱コンサートの映写会を行った。

75インチ相当のスクリーンにプロジェクターで映写。

自分達の演奏も含めて鑑賞した。

自分たちの歌う映像は面映いところもあるが、勉強にもなる。

今日は市民芸術祭参加のピアノコンサート、身近な人が出演する音楽空間を味わいに出掛けた。

自分にマッチした曲は知る子が弾くモーツァルトソナタ。

その子はユーフォニウムを奏し、声楽を目指している。

若い情熱が満ちている。

頑張れ。

自分は音楽に保守的なところがある。

音が鳴っているだけの曲になってしまう時間は嫌い。

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